「壁紙を全面的に張り替えるので、敷金の戻しはありません」と賃貸人(大家)にいわれ、それを鵜呑みにしてしまうケースが後を絶たない。
敷金は賃貸借契約を結んで入居する際に払い、契約を解除して退居するときに必要な補修費用などが差し引かれて返却されるお金のこと。確かに民法597条(使用物の返還の時期)、598条(借主による収去)、616条(貸借の規定の準用)を根拠として、賃借人には原状回復義務があると解釈されている。
しかし、借りた当時の状態にそっくりそのまま戻す必要はない。国土交通省のガイドラインが示しているように、「賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」が原状回復義務の対象範囲なのだ。
たとえば、火のついた煙草を落として畳を焦がした、絵画を飾るため壁に深いネジ穴を開けたなどの故意や不注意でないかぎり、賃借人は原状回復の費用を負担しなくてよい。ごく普通に使っているうちに生じた日焼けや摩耗などは「通常損耗」とみなされ、賃貸人が負担すべきものになる。
それゆえ、通常損耗の分まで敷金から引かれていることがわかったら、その大半を取り戻すことができる。「敷金を返せ」というのはクレーマーではなく、正当な権利を主張しているのだということをまず覚えておいてほしい。
とはいうものの、過当競争で賃貸料の下落に頭を抱える賃貸人は、「何とか敷金を返さずに済む方法はないか」と絶えず知恵を絞っている。そこで新たな問題として浮上してきたものが、賃貸借契約に「クリーニング費用等の原状回復費用は賃借人が負担すべきものとする」といった特約条項を盛り込んでおき、通常損耗の分も含めて敷金から差し引いてしまうケースだ。
こうした場合の判断基準になるものが2005年12月の最高裁判所の判例である。賃借人に通常損耗の分まで負担させるためには、(1)賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が、契約書に具体的に明記されているか、(2)明記されていない場合には、賃貸人が口頭で説明し、賃借人が明確に認識して合意したと認められることが必要とされた。つまり、抽象的な特約条項にとどまり、口頭での説明も十分でなかった場合には、通常損耗の分は負担しなくて済むわけだ。
ただし、賃貸人は「クリーニング費用一式」のような形で差し引いてくることがよくある。その場合は、費用の具体的な明細を求めて、通常損耗の分が含まれていないか確認することが重要だ。もし、この段階で賃貸人が実際のクリーニング費用より過大に請求していたとわかれば、詐欺(刑法246条)にあたる可能性が高い。
※すべて雑誌掲載当時
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